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医療事故・医療過誤全般

 医療過誤の被害者が直面する不条理  2008年3月4日(火)

 「それでもボクはやってない」を見て、日本の刑事裁判の不条理さにやりきれない思いをした方は多いだろう。周防監督も「怒り」をもってこの映画を作ったと語っておられた。

 しかし、弁護士も長くなると、あまりに多いこの世の不条理に慣れてしまうせいか、だんだんそういう「怒り」が枯渇していく気がする。そして、「怒り」が次第に「諦め」にすりかわっていくのだ。

 「怒り」はよい方向のエネルギーになることもあるので、私はそういう「怒り」を失わないようにせねばと思うことがしばしばある。

 「それでもボクはやってない」の主人公のように、司法の世界で刑事事件の冤罪被害者が受ける数々の不条理は、この映画のおかげでクローズアップされたと思う。

 この映画の一般の方々の感想を読むと、「びっくりした」というものが多い。でも、そういうことはずっと昔からあったのであり、ただ周防監督のような方や一般の方が目を向けなかっただけだ。

 弁護士であれば、たいていの者が自ら経験したり聞き知ったりしてきたことである。本当は、弁護士がこういうことをもっと世間に伝えるべきだったのかもしれない。

 
 ところで、私が取り扱う医療過誤事件の被害者らが直面する不条理も、冤罪被害者に負けてはいない。

※ ここでは、「それでもボクはやってない」の映画が「主人公は痴漢をやっていない」ことを絶対的真実として前提としていたように、「医療ミスがあったこと」を絶対的真実として前提とする。

 病気になったのは患者のせいではないことが多い。

 その病院、その医師を選んでしまったからといって、患者を責めることはできない。医師の技術や経験はたいていの患者には明らかではないから。

 不幸な結果になったことについて、おかしいと思うだけで医療ミスか医療ミスでないかまでは素人には判断がつかない。

 病院にかけあっても、取り合ってはもらえない。医師会の相談に行っても同じ。

 弁護士に相談すると、証拠保全などでカルテや検査記録を入手し、調査をしないと医療ミスかそうでないか見通しがたたない、それには費用がかかる、と言われる。

 真実が知りたいと思い、費用の負担を覚悟して弁護士に依頼する。

 弁護士はカルテ等を入手して調査をするが、文献など調べても分からないことが多い。専門医に意見を聞きたいと思っても調査に協力してくれる医師がなかなか見つからない。幸いにも医師の意見を聞くことができても、A医師は「絶対におかしい、ミスだ。」と言い、B医師は「これはやむをえない事故だ、ミスではない。」と言う。弁護士は迷うが、A医師の説明の方が合理的で説得力があると判断する。

 弁護士から調査の結果を聞き、患者も迷う。しかし、A医師の説明に納得がいき、弁護士に病院との示談交渉を依頼する。

 何ヶ月も待たされて、病院の代理人の弁護士から「医師には過失がない」というそっけない短い手紙が届く。

 患者は弁護士から「もはや裁判によるしかない。」と言われ、費用や時間がかかることに驚き、迷う。このまま泣き寝入りするのは嫌だから費用や時間がかかっても裁判を決意するか、費用や時間がかかるのはたまらないと思い断念するか。

 裁判を選択してからも、病院側は「過失」や「因果関係」を否定し続ける。A医師に記名の意見書を作成してくれないかと頼むも、A医師からは裁判にかかわりたくないと断られる。他に記名の意見書を作成してくれる専門医がいないか探すも、被告の病院や医師とは知り合いだからとか、裁判にかかわるのは嫌だから、などという理由で断られる。

 病院側からはその分野で有名な医師の記名の(病院側に有利な)意見書が提出されることも。

 裁判所から鑑定の打診がある。患者は鑑定費用を負担することを覚悟の上で、鑑定の申請をする。しかし、裁判所がいろいろな大学や病院に声をかけても鑑定人はなかなか見つからない。鑑定人が決まるまでに半年、鑑定書の作成までに1年かかることも。

 そうこうするうちに1審だけで2年、3年が経過してしまうということも。

 しかし、判決で「訴訟的真実」として「過失」や「因果関係」が認められないこともしばしば。

※ 患者側に原則として過失や因果関係の立証責任があるので、立証が不十分とされれば過失や因果関係は認められない。たとえば手術中のビデオがあれば手技ミスが立証できても、ビデオがなければ立証できない場合などもある。            

 私は、「それでもボクはやってない」を見て、周防監督には、今度はこういう医療過誤の被害者やその家族の被る数々の不条理をテーマに、「怒り」をもって映画を作って頂けないかと思った。

 男性なら誰でも痴漢冤罪の被害にあう可能性があるように、誰でも病気になる可能性があるのであり、従って誰でも医療過誤の被害にあう可能性があるのだ。

 医師の方々の中には、「医療ミスでないものを医療ミスであると認定している判決」が多いとお怒りになる方は多いけれども、「医療ミスであるものを医療ミスではないと認定した判決」がどの位多いのか、そして立証の困難さや費用がかかることを考えて裁判をあきらめ泣き寝入りをした患者がどの位多いのか、について関心を持つ方は少ないようだ。

 医療過誤「冤罪」に泣く医師の救済を考えるだけでなく、こういう患者の救済も真剣に考えて頂かないと、今の日本の医療が抱えている問題は解決しないと思う。

マンパワー不足   2007年11月14日(水) 

 きょうは、久しぶりに医療過誤問題研究会の勉強会に出席した。

 麻酔科医の先生がスライドを使って脊髄麻酔と硬膜外麻酔について分かりやすく説明して下さる。

 麻酔に使う針の実物も見せて頂いた。よくもまあ、こんなに細くて長くて柔らかい針を扱えるものだと感心する。硬膜外麻酔の場合、硬膜に達しないよう硬膜外腔に針を止めなければならない。細心の注意と訓練を要する手作業だ。

 麻酔科と病理の先生には、医療事故の調査の際にお世話になることが多い。しかし、どちらの分野も医師が不足している。

 患者としては直接接することが少ない分野だが、実際の治療行為にはとても大切な分野だ。

 きょうご説明頂いた先生も、麻酔科医師の不足、マンパワー不足を嘆いておられた。

 今の日本で全ての手術に麻酔科専門医の立会を望むことなど到底不可能だ。

 しかし、私は、自分や自分の家族が手術を受けるなら、麻酔科専門医が立ち会って下さる病院でお願いしたいと思ってしまう。                  

 患者が安全な治療を受けられるよう、なぜ国はもっと力を注いでこなかったのか。なぜもっと長期的展望をもって医師の数を増やしてこなかったのか。

 いきなり数を増やしても、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)(仕事の現場で、業務に必要な知識や技術を習得させる研修)が困難であることは、医師も弁護士も同じである。

 それなのに、国は(そんなに必要とされていない)弁護士は急激に増やしてOJTに支障をきたしている。しかし、国民に必要とされている医師は増やしてこなかった。

 舛添厚生労働大臣と鳩山法務大臣は、この問題についていろいろ発言はされているが、本当に期待していいのだろうか。 


医療のソフトとハード  2006年4月15日(土)

今週は、癌の見落としを争点とする裁判の書面の作成や証拠として提出する文献などの整理に追われていた。

 そういうときは、私の机の上はメチャクチャである。そういう細かい仕事をしている最中にも電話がかかってくると、別の記録を出して対応しなければならない。机の上は、記録と書類の山になる。電話で思考もストップする。

 私は、だいぶ前から医療過誤事件の大事な書面を作成しなければならないときは、半日なり1日なり自宅にこもることにしている。その方が能率がいいのだ。もちろん、他の仕事はその前後にきちんと段取りをつけて事務員に指示を出すようにし、携帯電話で連絡が取れるようにしている。弁護士は、事務所に座っていればよい仕事ができるというものではないと思う。

 今週その仕事もようやく一段落がついたので、来週からは机の上を整理するつもり。机の上に限らず、事務所内には(新年度がもう始まっているというのに)整理しなければならない記録が貯まっている。

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 この仕事で癌の見落としについていろいろな文献を読んでいる中に、ある大学病院の内科医師(当時)の興味深い報告があった。

 肝臓の癌は、B型、C型などの肝炎や肝硬変の患者さんから発症することが圧倒的に多い。それで、これらの患者さんには定期的な腹部超音波検査が必要となる。

 腹部超音波検査というのは、人間ドックなどで受けた方も多数おられると思うが、冷たいゼリー状の液体をお腹に塗られて検査されるあの検査のことだ。お医者さんは、画面を見ながらお腹の上でプローブという超音波を発生させる装置を動かす。ときおりその手が止まって医師が画面をのぞき込むと、私などはよく不安におそわれる。

 超音波検査は、副作用もなくCTやMRI検査に比べると費用も安くすみ患者の負担も少ないので、比較的よく利用される検査である。

 ある大きな病院(A病院としよう)は肝臓疾患の患者を多く抱えていた。A病院は超音波検査装置を筆者の大学病院の3倍の台数保有し、超音波検査の件数も5倍以上だった。しかし、筆者の大学病院よりも肝臓癌を小さいうちに発見できた確率がはるかに低かった。このA病院の医師らが、筆者の医師のいる大学病院に研修にやって来た。

 筆者の医師からみると、A病院でなぜ小さい肝臓癌が発見されないのかは明らかだったという。

 A病院では、肝臓疾患の患者に対する超音波検査を人間ドック的な検査としてしか実施していなかったのである。つまり、平均的な異常の発見を怠らない程度の検査レベルでしかなく、肝臓疾患の患者に対する肝臓癌の発見という専門的な目的意識を持った検査をしていなかったのである。

 筆者の医師はA病院にいくつかのアドバイスをしたところ、A病院でも小さい肝臓癌が次々と発見されるようになったという。

 そのアドバイスにはかなり専門的なものも含まれているが、医学知識のない私たちであっても当然だろうと理解できるものがある。簡単にまとめると、

1 A病院では人間ドックの超音波検査も肝臓疾患の患者に対する超音波検査も、一般外来で多くの医師、検査技師にランダムに割り振られていた。これを慢性肝炎、肝硬変の患者の肝臓癌の発見に熱心な一人の検査技師または医師に超音波検査を集中させた。

2 超音波検査の際には、小さい肝臓癌を発見するという目的意識を持つようにした。

3 外来に来る慢性肝炎、肝硬変の患者に、定期的な超音波検査が肝臓癌を見つけるのにいかに大切かをプリントなどにして説明した。

4 超音波検査の画面を大きめのものにし、分割画面でモニターせず、一画面をたっぷり使うようにした。また、モニター画面の明るさを調整した。

というものであった。

 その他にも超音波検査装置のうちの1台を肝臓癌発見専用機種とする、プローブを一定の型のものとする等のハード面でのアドバイスもし、このハード面と前記のソフト面の両面の改善によってA病院の小肝癌発見率は飛躍的に向上したという。

 これは、10年以上前の医学雑誌(日本内科学会雑誌 第84巻 第12号 平成7年12月10日 著者 真島康雄医師)に掲載されたものである。

 しかし、現在でも、超音波検査というのは、検査者の熟練度や注意力などに左右されるといわれている。画像検査の中でも、極めてソフト面が重要視される検査といえよう。

 いかに医療技術が進歩し、いかに医療機器が精巧なものになっても、人間が行う以上、技術や経験、そして集中力や注意力などという極めて人間的な要素が結果を左右するのである。

 人間が人間である以上、医療ミスはなくならないと思う。どうすればミスを減らせるかは、とても難しい問題だ。しかし、前記のA病院のように、ちょっとした工夫や努力により、回避可能なものも多いと思う。      

私のブログ「弁護士のため息」の  医療過誤関連の記事抜粋